【文章が上手くなるときの2つの段階】独学で書く人こそ読むことが大切:書くほど簡単になり読むほど難しくなる
文章が書けるようになる・上手くなるというのを、誰が判断するのかというと、先ずは書いている自分自身です。
自分で自分の文章が上達したことを感じる瞬間は嬉しいものです。
書くことが上手くなる1つ目の段階
自分がイメージする良い文章、あるいは上手い文章を書けるようになると、執筆のスピードが上がります。
執筆のスピードが上がれば、頭に余裕が生まれ、より整合性のある文章構造に近づきます。
好循環が生まれ、ストレスなく文章を完成させることが出来るようになり、細かいミスにも気づきやすくなります。
そのまま書き続けていれば、文章の精度は上がり続け、考えると同時に文章を書けるようになるでしょう。
これが、文章が上手くなるときの1つ目の段階です。
自分のイメージする良い文章・ノウハウに沿った上手い文章に最短でたどり着けるようになったということです。
文章技術の進歩、あるいは精度の向上と言い換えることができます。
ただ、これはあくまでも「自分自身がイメージできる範囲」で書いています。
当然ですね。知っていることしか知り得ないのです。
次の段階に進むには、自分のイメージを更新する必要があります。読み手である自分のレベルを上げなければいけません。
読み手としての水準をあげる2つ目の段階
良い文章を多く読み、新しいイメージを持たなければいけません。
ときには悪い文章も読み、その原因を探ることもいい結果に結びつくでしょう。
書き手である自分と読み手である自分を両輪として、文章を書く力は発展していくのです。
良き音楽家が、多くの良い音楽を栄養にするように、文章を書く人間は多くの文章を栄養にする必要があります。
そうして読み手として進化した自分の目には、過去の文章が稚拙に見えることでしょう。
こういったことは誰もが経験しているはずです。文章に限らず、過去を振り返って自分の未熟さを認識するということは珍しいことではありません。
イメージが進歩しているからこそのことで、これが文章が上手くなるときの2つ目の状態です。
読み手としてのあなたが文章の個性を育む
良い文章に対するイメージが高度に発展すれば、その新たなイメージに沿うよう、より文章の精度を上げていくことになります。
試行錯誤を繰り返し、一度手に入れた効率性を捨て、新たなシステムを自分自身の中に構築し直さなければいけません。
イメージの方向性は人それぞれでしょう。
より易しい文章を目指す人もいれば、情緒的表現を極めようとする人もいるはずです。
整合性だけが唯一の正解ではありません。グルーブ・リズムを追求することも文章表現の本質です。
文章に対する感性が育った人ほど独自の路線を見い出すものだと感じます。
しかし、イメージだけが先行しても実際に文章に落とし込むには訓練が必要です。
その訓練期間が、1つ目の「イメージに近づける」段階です。
1と2の期間を交互に繰り返すことで文章は上手くなるのです。
実際には、要所要所でイメージが先行していることもあれば、十分にテクニックが足りていることもあるでしょう。
一度に全てを改善することはできませんから、優先順位がつけられます。
その優先順位は、読み手であるあなたの価値観・感性によって決まります。
そのバランスが文章の個性になるのかもしれません。
独学で文章力を高める人こそ読まなければならない
特に、独学で近い形で文章を訓練する人は読み手である自分を、より意識する必要があります。
自分が書くジャンルで「良し」とされている文章を読み込むことは必須ですし、語彙や表現の豊富さを求めるなら、個人的な読書は欠かせません。
書くことで高められる文章力の上限は、読み手である自分の裁量に任されます。
良き読み手であるためには、多く読むことが有効です。
また、2つの視点を認識していると、『文章が上手く書けない』と感じるときに不当に落ち込むことがなくなります。
読み手としての自分が進化したからこそ、書き手である自分の文章が気に入らないのです。それは階段の踊り場に出たようなもので、次の階段を登るための準備期間です。
それを知っているだけで文章を書き続けるためのモチベーションが維持できます。
自分の文章がつまらないのは、才能がないからではなく、次の段階にある「より高度な才能」への布石なのです。
書けば書くほど簡単になり、読めば読むほど難しくなるのです。