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備忘録としてのweblog

ブログの失敗を避けるための事例を提示します:書くだけじゃダメなのです

ブログ運営には大切な要素がいくつもある。初めからそれを全てこなすことは不可能だろう。

だからこそ先ずは、書くことを優先させる必要がある。

そして、書くうちに学べんだことを少しずつブログに反映していくことが、正しい順番とされている。

書けばそれなりに上手くなるし、記事の数が増えればデータも取れる。

サーチコンソールを見れば、自分の書いたものがどのようなクエリに引っかかっているのかを知ることができる。

アナリティクスを見れば、ブログに訪れたユーザーがどのように挙動しているのかも知れる。

課題が浮かび上がり、リライトの指針が生まれる。

また、カテゴリを整理し、ユーザビリティを上げることも忘れてはならない。

適切に内部リンクを貼り、回遊性を上げることも重要だ。ブログに訪れたユーザーが少ないクリック数で情報にアクセスできるよう、常に最適化を目指さなければない。

そうした施策を丁寧にやることで、書いた記事が、その情報が、適切にユーザーに届く。

あらゆることがブログの価値を上げる。それはまたグーグルからの評価にも繋がる。

書くこと自体に慣れたものの

私はこのブログの記事を更新しながら、多くのことを学んだ。

このブログは私の初めてのブログであり、学びの場であり、実験の場でもある。

書いた。とにかく書いた。リサーチなどせずに書いた。書きたいことを書きたいように書いた。

それではダメだということを知りながらも書いた。

まず、書くこと自体に慣れることが重要だと思ったからだ。そして慣れた。

それは本業(webライティング)に良い効果をもたらした。書くことへのハードルが下がったため、本業に取りかかるさいの心理的な負担が減った。

それは良いことだった。

たが、リサーチありきのwebライティングをこなすほど、その反動でブログには好きなことを好きなように書いた。

いつしか「ふざける」ということが、最大の喜びになり、また課題となった。

いかにふざけるか、いかに脱線するか、いかにweb上の無意味をやるか、ということを追求し、価値のない、いわゆる「ネットのゴミ」を量産した。

・・・私は、こんなことがしたかったのではない。有益な情報をユーザーに提供し、アクセスを集め、広告効果の高い人気ブログを目指したかった。

でも、ダメだ。今夜もこのように、駄文を積み上げている。いくらネットに物理的な限界がないとはいえ、無闇にゴミを撒き散らすことは避けたい。

このブログはもう行く先を見失いつつある。

カテゴリーなんかあったもんじゃない。

あまりにも薄くて、概念的かつ抽象的な記事ばかりで、それを収めるカテゴリーも抽象が極まりない。

  • なんてことない話
  • 少し役に立つ(かもしれない)話
  • わりと真面目な話

これが、我がブログのカテゴリーである。振り分けは感覚的で、本人のさじ加減による。

どのカテゴリーもほとんど同じ意味に捉えることが可能だ。

そもそも、カテゴリー分けをする必要がないほど、うっ散らかっているのである。

ゴミ記事生産機のメンタリティ

さすがに「これではいかん」と思いつつ、ゴミ記事を量産する私。

せめて、リライトをして内部リンクぐらい貼ればいいものの、過去記事をたどることがめんどくさい。

新しい文章が書きたい。その思いが今夜も筆を走らせる。それが例えゴミ記事だったとしても、この情熱は本物である。

だって!書きたいって気持ちが大切なんでしょ!?

こんな感じの思春期が顔を出し、私に駄文を生ませる。

やめてくれ、やめておくれ。私は!人気ブログを運営して、広告収益を得たいんだ。こんな不毛なことばかりをしている場合じゃない!

内なる私が二項対立し、裁判官が欠席で、判断は見送られ続け、惰性が生産する不良品がネットの海にばら撒かれる。

こんなことをここ数ヶ月、毎日のように続けている。

それでやっと、先ほど過去記事を見直すことをした。

ブログの失敗の本質

ひどいものである。1記事目というのはひどいものだ。育ちの悪さが出ています。

こんな醜態を世間に晒し、平気な顔してビールを飲んでいたのかと思うと赤面である。

審査に来たASPの人も、グーグルの人も、「こりゃいかん」と思ったであろう。それは容易に想像がつく。

だが、薄々感づいてもいた。というか、たかが数ヶ月前に書いたものだから、記憶にある。

だからこそ、気が進まなかった。誰が好きこのんで過去の醜悪な自分と向き合うのだ。人が最も避けたいのは「恥」である。

自らの恥に向き合い、それで改善を行い、人にとって意義のあるものにする。そうなればいいが、私のブログはそもそもが欠陥住宅であるからして、まずは解体が必要なのである。

それでも愛着がある。いや愛着はないが、損した気分になる。かけた労力が無に帰すのは避けたい。だから解体はしない。

この考え方がダメなことは知っている。私もそれなりに人生を歩んできたのだから、それくらいのことは知っている。

でも、もう少しだけ。あと少しだけ。様子を見させてくれませんか?

たかが、開設数ヶ月のブログなのである。もう少し大目に見てください。

失敗を失敗と認めるには、強い自覚が必要で、それはもう十分にある気もするのだが、やはりまだ足りない。

次のステージに向かうため、私はもう少しこのブログに駄文・ゴミ記事を積み上げていきたいと思っている。

(もちろん出来るだけブログ内の改善も行いながら。とりあえず、リライトや内部構造に気が向き始めたことは成長と言えませんか?)

これからブログを始める人がいましたら、このような失敗は全力で避けることをおすすめします。