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備忘録としてのweblog

カップ焼きそばをドラッグストアで買うときに気をつけたほうがいい事

最近カップ焼きそばを食べることが増えた。近所のドラッグストアにてカップ焼きそばをついつい購入せしめ、いそいそともぐもぐとしている。やはりソース味の魔力というものがあって、一度体験してしまうと忘れられない。しかもカップ焼きそばを作ることはとても簡単である。お湯を沸かして、カップにインして待つ。湯を捨て、ソースを投入して、お箸で混ぜ混ぜ。調理開始から食事の終了まで10分ほどで済んじゃう。幸せが超圧縮されている。

ドラッグストアの100円の焼きそば

カップ焼きそばは、ドラッグストアで100円くらいで買える。また、ドラッグストアのオリジナルブランドからもカップ焼きそばは販売されていて、さらに安価である。ちなみに焼きそば界の大スターペヤングのディスカウントはそれほどでもなくて、食べたい気持ちをグッとこらえている。

私がよく買うのは、マルちゃんのごつもり焼きそばで、こちらは麺130gで食べ応えがある。例えば、UFOなんてのは高級なカップ焼きそばで、私には買えない。UFOの麺量は100gくらいで、値段はごつもり焼きそばの1.5倍ほどである。お高いのである。高嶺の花である。

可愛いは正義である

高嶺の花を憎むことはしたくないと思っている。自分の手が届かない存在を、自分の手が届かないという理由で嫌いになる人にはなりたくないと思っている。高嶺の花の、その素敵さを讃えながら、自分は自分なりの生活を送りたいと思う。

また、逆に自分の手が届く存在を、つまり生活のパートナーを、安易に愛することもしたくないと思っている。この場合ごつもり焼きそばが私のパートナーである。

身内を無条件に盲目的に愛し、手に入らない高嶺の花を憎むことで、生活の幸福度を高めることは容易い。ただ、私はそれはしたくない。UFOの可憐さを横目で確認し、心をハッとさせたい。感動したい。届かない想いに身悶えしたい。

手の届かない素敵な女性を、手が届かないという理由で自分の世界から追放するのはもったいない。見るだけでいい。存在してくれているだけで価値がある。可愛いは正義である。心が動くことは喜びである。

だから私は、UFOを憎まない。

相手の気持ちも考えないといけない

しかし、ごつもり焼きそばの方は気分がよくないかもしれない。私が実は他の焼きそばに興味津々で、しかも羨望の眼差しを向け、かつ、いつかは抱きたいと思っているのだから。

さらに、ごつもり焼きそばの方には拒否権がないわけで、私の気分次第でいつでも買われ抱かれるのである。かわいそうだ。救いがない。

やはり、隠さなければならない。正直であればいいというものではない。だが、すでに薄々気づいているだろう。私が彼女を選ぶ前にUFOの方をチラッとみていることを知っているはずだ。申し訳ない。

しかし過ぎたことである。これからに目を向けよう。人は変われる。そしてその変化は相手にも伝わるはずである。もう悲しい思いはさせない。私は今後他の焼きそばに目を向けることなく一直線に彼女のもとに向かおうと思う。