気がつけば貴族のような生活を手に入れていた
朝に目を覚まし、鳥のさえずりを聞きながらcoffeeを淹れる。
好きな本を読み、そのあと数時間は文筆(webライティング)をする。
合間で、見知らぬ人と手紙(ツイッター)のやり取りをする。
日が暮れれば酒(第3のビール)を飲む。
眠くなるまで起きていて、眠くなればもちろん眠る。
まるで、貴族のような生活。
先ほど気づいてしまった。私の生活は貴族のようである。いつのまにか、得るべきものを全て得てしまったようだ。
生活に必要なものは全て揃い、嗜好品の類いまであるではないか。(ビールのグレードは置いておいて)
誰かから無理矢理に奪ったものなど何もない。世界の隅っこ(自分の家)でじっとしていただけだ。
そうしていたら、いつのまにか貴族だった。
もちろん世界的な規模で見れば、私の幸せは誰かの不幸せ。その件については、いずれ貢献したいと思っている。
だが、それにしても、それを行うにしても、自身の生活が低コストで潤っているというのは重要なことだ。
金のかかる趣味や遊びを放棄しているからこそ、成し得た偉業だ。これで、もっともっとと欲を出せば途端に生活は破綻するに違いない。
それは分かっている。見る人から見れば、私の生活など河童の生活。
皿に溜まった僅かな水を大切そうに運ぶおよび腰の哀れさ。憐憫。貧困。そのように私をカテゴライズする人はいるだろう。
しかし、私は貴族のような生活を持っている。
生まれたところが南国です。リゾートです。
そんな感じ。
ここでは、金の力が弱いのだ。
金無しで入手可能な喜び・恵・戯れ、これらが私を豊かにしているからして、資本主義的な傲慢さは私に届かない。
むしろ嫉妬さえ、されかねない。
嫌々労働に勤しむような一家の大黒柱からすれば、私など憎っくき河童だろう。
それは分かっている。
および腰を憐れむがいい。
だが、しかし、あなたの目から見れば私は河童かもしれないが、私の家系は頭髪が濃ゆいから禿げるのはずっとあとだろう。
もし私が現実的に河童のようなヘアースタイルをしていたら、それは私だってアクセクしているかもしれない。
立派なカツラを手に入れるために、資本主義的な勝利を目指さざるをえないだろう。
だが、私はあなたの目から見れば河童でも、実際にはフサフサなのである。
だからして、私は明日も貴族のような生活を継続する。
おやすみなさい。