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備忘録としてのweblog

フォロワーと呼ばれると切なくてやりきれない気持ちになる

ツイッターやインスタグラムなど、各SNSサービスにはフォローという制度がある。それを利用して我々はフォロワーになる。

フェイスブックでは友達と呼んだりするが、まあ、同じようなもので、つまり、その人に興味関心を持ち、言動をチェックするため、我々はフォロワーになる。

フォロワーに感謝の気持ちを述べる人

たまに、フォロワーに感謝している人がいる。

「フォロワーの皆さまのおかげでなんたかんたら」

結構なことである。人に感謝すること、また感謝されるような関係性は尊い。なにか良いことがあったのだろう。

また、フォロワー〇〇人突破!と喜びをツイートする人もいる。周囲からは、賞賛の声。きっと彼・彼女のフォロワー達が祝っているのだろう。めでたいじゃないか。

純粋にそう思う。

私が、フォローしている人を介して、そのような知らせを受け取ることがある、RTという制度である。人ごとながら、心の中で拍手を送りたい。いや、送ろう、パチパチパチ。

ただ、たまに自分がフォロワーとして、感謝されたりすると、微量の違和感を感じてしまう。

フォローの意図

我々が、フォロワーになるには、さまざまなパターンがある。

ぜひ、その一語一句を浴びせて欲しいと、完全な片思いでフォローするときもある。

なんとなく、面白そうだから観察対象としてフォローすることもある。

また、先にフォローされたから、なんとなくフォローすることだってある。

フォロワーとファン

誰かのフォロワーになっているといっても、その人のファンであるとは限らない。

友達同士で相互フォローしていることもある。それは、友達関係であって、どちらかがファンということにはならない。

はたまた、なあなあの関係だってある。そっちが、先にフォローしてきたから、こっちだって・・・みたいな、しょうもない痴話喧嘩のような関係性。

だが、フォロワーの皆さまとして、感謝されると、たとえ、そうではなくても、自分がその人のファンになってしまった気がするのだ。

フォロワーを一括りにすること

フォロワーを一括りにすることは、リスクが高い。たとえ、感謝の意を伝えるのだとしても、危ない。

だって、人は一括りにされることを好まない。嫌な気持ちになる人もいるだろう。少なくとも自ら進んで一括りにして欲しい人はいない(多分)。

ましてや、友達からフォロワーとして一括りにされたり、行きずりの関係であるにも関わらず「応援ありがとう」なんて言われたら、困惑する。

言っているほうは、自分 対 フォロワーとして、個人の尊厳を高めるが、フォロワーの立場に立たされた方は、面白くもなんともない。

そんな、人を不快にするリスクを犯してまで、なぜフォロワーと一括りにしてしまう人がいるのか。

それは、フォロワー数が価値になるからである。我々がフォロワーと一括りにされるとき、我々は数値になっているのである。

SNSと信用経済と市場価値

フォロワー数というのは、明らかに市場価値になる。広告媒体になるにも、なにか、資金を集めるときにも役に立つ。

桁はずれにフォロワーが多い人は、株価や世界情勢に影響を与えることだってある。

つまり、フォロワーというのは、明らかに価値が数値化されたものであり、数値化された価値は実際の影響力を持つ。

今では、個人の領域においても、フォロワー数を活かすすべが多くある。

クラウドファンディングの実施や、YouTube・ブログなどを利用した広告収入に繋げることができる。

フォロワー数はタイムバンクでの指標になる

個人の時間を売買することができるタイムバンクという市場がある。その市場に上場するためには審査を受けなければいけない。

その審査の際に、1つの指標になるのが、SNSでの信用を表すフォロワー数だ。

フォロワーが多ければ良いというものでもなくて、審査の内容・仕組みはオープンにされていない。

だが、確実にフォロワーの数というのは、実際的に価値を持つ。

切なくてやりきれない

フォロワーが増えたり、フォロワーが多いことで、実現できることが確かにある。だからこそ、人はフォロワーの皆さまに感謝するのだ。

だが、やはり、自分がファンのように扱われてしまうことには抵抗がある。

実際にファンである場合には良い。

そうではなく、友達関係・行きずりの関係であるにも関わらず、勝手にファンにされて、感謝されると、切ない気持ちになってしまう。

それは、自分が一括りにされた虚しさ、告白してもいないのにフラれる感じ。

「あなたには感謝している、だけど、それはフォロワーとして。

あなたとは付き合えない。

でも、これからも私のことを応援して。勝手な言い分かもしれない。都合が良いのはわかってる。

だけど、私は選んだの。愛する1人のために生きるのではなく、私を応援してくれるみんなのために生きるって。

あなただって、きっと、私が1人の男を愛するつまんない女になるのは嫌なはず。

私はつまんない女。でも、今は輝いている。なんでか分かる?

教えてあげる。

それは、あなたのおかげ。あなたや、他のフォロワーが応援してくれるから。だから今の私がある。輝ける。

つまんない女よ。私なんて。きっと、本当の私を知ったら、あなただって愛想を尽かすわ。

私が輝けるのは!

フォロワーのおかげ!そう、皆さまのおかげなの!

ありがとう!

これからもよろしく!」

フォロワーの皆さまとして、一括りにされ、感謝されると、切なくてやりきれない気持ちになる。