自分がどこまで書ける(言える)のかを知ることは大切
毎日のように、いたるところで炎上している。誰かが、誰かの揚げ足を取っている。臆病な人は発信することに恐怖を抱くだろう。発信することのアドバンテージが大きい時代であるにも関わらず。
なぜ、炎上が起きるのだろう。理由はさまざまにあるし、一口には語れない。
あからさまに、おかしな炎上もあるし、炎上というよりは、有意義な議論が組みかわされていることもある。しかし、外野がうるさい。そんな修羅場を見た凡人は、やはり発信なんてするものではないと思うだろう。
賢い人ほど黙る。
しかし、それが炎上気質な世間を加速させる。
賢い人こそ黙る
冷静に状況を分析すれば、発信することにメリットを見出すことは難しい。いつ誰に噛みつかれるか分からないし、そのリスクに対して得られるメリットは不確かだ。こうなると賢い人ほど黙る。そして、捨てアカの阿呆ほど躍動する。
こうした、状況に危機感を募らせる著名人が反撃をしている。具体的な名前は出すまい。しかし、皆さま見かけたことがあるはずだ。噛み付く阿呆を晒しあげる著名人を。
とりあえず個人はどうするべきか
発信が容易に行える社会になった。それなりに人の目にも触れる。ただの独り言は、ネット上にあがれば、公式な文言になる。安易に好き勝手には発言できない。聞きかじった、知識で不用意に発言すれば、どこの誰から攻撃されるかもしれない。それだけで済めば良いが、誰かを傷つけてしまうかもしれない。
もし、実名で顔出しで発信していれば、長い間、あとを引きずるダメージを追うだろう。
知っている範囲で話そう
背伸びしてはいけない。知ったかぶりで不用意な発言をしてはいけない。自分が何をどこまで語り得るのかを知っておかなければならない。自信や確信のないことについて決めつけたような発言をしてはいけないのだ。
疑問は疑問のまま放とう
確かな意見は言えないが、不快感を感じる。あるいは、納得がいかない。ということは多々あるだろう。そうした時は、それをそのまま発信するのが良いと思う。変に言い切ったり、理由をこじつけたりすることはやめた方が良い。
「なんだかよく分からないし、ハッキリとしたことは言えないが、なんとなく私は気持ち悪い」
例えばこんな風に率直に物申す方が、相手にも自分にも優しい。
相手を知ることから始めたい
自分の常識が正しいことは何にも誰にも保証されていない。そして、その不確かな常識に沿って誰かや事象を批判することは危険だ。
また、発言には文脈というものがある。気に触るような文言を見かけても、言いたい衝動をぐっとこらえ、経緯をまず知ろう。相手が、どのような人で、誰とその時何について語っているかを知ろう。