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備忘録としてのweblog

孤独者のメリット:人と違うは均質化の中での生存戦略になる

孤独というのは慣れないうちは、手に負えないし、人によっては断じて避けたいことでもあるらしい。しかし、孤独の効用を唱える人も少なくない。孤独というのはとても贅沢なものでもある。特に干渉されることが嫌いな人にとっては理想的な状態だ。今ほど、人と人が簡単に繋がることができる時代はない。だからこそ、孤独というのはある意味で価値が高く生存戦略としても有効になる。

規格と個

世の中は便利になり続ける。便利になるには規格の同一化が重要だ。互換性が求められる。様々なプラットフォームがあるが、往き来が簡単な方が快適である。これまでは、社会や環境が不自由だったから人間の方が互換性を持つ必要があった。しかし、情報化社会にとっては最早、昔のような個の均質性は求められない。環境の方が合わせてくれるからだ。徐々に、世界自体が均質になる。

個が大事という風潮

均質化される時代背景の中で、人間の個が大事だという主張が溢れている。それは、もちろんその通りなのだろう。しかし、悲しいかな。個を先導する指導者と、その指針に導かれる人々の間には乖離がある。それは仕方ない。どんな主張や理念も、賛同者が多ければ多数になる。そして多くの個人は集い、個の大切さのもとに共感を求める。それ自体は悪いことではない。ただ、根っからの孤独な人間にとっては今までと変わらない景色だ。トレンドが変わっただけである。

個の価値を担保するものはなんだろう。1つに独自性というものがあるはずだ。他者との差異だ。ある時代や年齢によっては、それは弱点にもなりえる。しかし、個を売りにするのなら違いは武器になる。その他多勢とは違うということが魅力になる。

孤独と時間

違いはなにによって生み出されるのか。時間というのは重要な要素だ。時間の過ごし方、時間との向き合い方は違いになる。情報や環境は均質化されているのだから、あとは、どのように向き合うかというのが違いを分ける。1人でどれだけ考えたか、出来るだけ他人の影響を受けずに判断したのか、などが個性になる。

孤独であるということは、1人でいる時間が長いということだ。孤独な生活は、全てを自分で決める必要がある。人に合わせるという選択肢がないのだから当然だ。誰かの顔色を伺ったりすることもない。まず、孤独を生きるには自分で規律を保つ必要がある。そして、多くの芸術家が実施する規則正しい生活を手に入れる。他人の干渉に拠らない、規則正しい生活は時間の経過と共に個を無にしていく。

深さと遠くの共感

無になった個は、人とは違う時間軸を生きることになる。純粋な興味に導かれ、子供のように夢中になる。長く深く見つめられ、磨かれたテーマは、固有性と高い精度を両立させた価値となる。世間的な価値が宿るかは分からない。例えば金銭的な価値を与えるには、なにかしらのテクニックを必要とするかもしれない。しかし、そこには確かに固有性がある。均質化された情報とは違う歪さがある。

均質化された情報社会のインフラは、固有性を遠くへ届ける。インターネットが発達した社会では、個人的な営みを深く追及するほど遠くまで届く。むしろ、常に手を取り合って共感をベースに生きていれば、そのコミュニティは広がることがないし、誰もが同じように浅く同質的な価値を持つ。

孤独という個人的なスペースで発見されたなにかは、固有の価値を持ち、最終的には深い共感を得るだろう。遠くまで行きたければ、そこから動いてはいけないのだ。

寂しいという概念から卒業する

孤独を恐れなければ、得るものは大きい。もちろん、物理的な断絶だけが孤独ではない。大勢の中にいても孤独はある。それは、問題だろうか。周囲が優しくなければ不快な思いをすることもあるかもしれない。しかし、孤独には価値があるということを忘れないようにしたい。

賑やかさや、優しさ、共感を求める世界に別れを告げれば、新たな世界の入り口がある。孤独を愛さなかった偉人はほとんどいないのではないだろうか。1日の中に、数時間でも孤独を確保することは非常に有益なことだ。

価値のある個として認識されるには、固有性が求められるのだから、孤独が必須条件であることは当たり前だ。どれくらいの孤独を用意するかは、それこそ個に委ねられている。