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備忘録としてのweblog

【文化的素養なんてまだ求められていない】娯楽小説読んでる場合じゃない

趣味が読書と言えば聞こえは良いものの、はたして意義がある読書になっているのだろうか。と、本読みは割と考えるものである。特に、小説読みはそうである。実際に、昔怒られたことがある。

「君は小説ばっかり読んでいるんじゃないよ」と。

当時勤めていた会社の社長直々に怒られました。そして、マーケティングの本を貸してくれました。まあ、良い社長ですね。マーケティングの本も面白かったです。

ありがとう社長。

だが、しかし、未だに私は小説を読んでいる。極力読まないようにしているのだが、どうしても買ってしまう。あるいは、借りてしまう。そして、普通のボリュームの小説ならば一気に読み上げてしまう。他に重要な用事があっても、なんのそのである。2時間から3時間で読んでまう。いかんです。

数年前は、中村文則を読み漁っていた。その前は伊坂幸太郎。面白い。でも、面白いだけなんだ!よ!!!

いや、そんなことはない。小説から学ぶべきことは多くあるし、効率だけでは測れない世界が確かにある。でも、ダメなんですよ。結果を出そうとする若者は、目的意識を持って本を選ばなければいけないし、そもそも本を読むことが、今、必要なのか?ということから考えなければいけないのです。

しかし、それでも読ませてしまうのが小説家の力です。変なコピーライターよりも、もっと強い力を発揮しています。中毒性を意識して作品書いています。あの人たち。そしてまんまと、絡め取られてしまいます、私ったら。

ノンフィクションを読むべきだ

できるだけ、小説は読まないようにしています。歴史や数学の本。プログラミング関連の本を選んで読むようにしています。そうした本はそれなりの値段がするので、極力図書館で借りるようにしています。情報として少し古くなってしまいますが、最先端で仕事をしているわけではないので、そんなに困りません。1番新しい情報は、ネットにありますしね。本は、検索の手間を無くしてくれます。ひとまとまりの情報が、一冊という単位に収まっていることが価値です。

もう、これ以上お金を稼ぐ意義がない人は小説を読んでもいいでしょう。いや、むしろそうなってからこそ文化的な素養が求められるはずです。力も金もない若者は、文化的素養を培っても使い道がないのです。まだ、求められていないのです。だから、ノンフィクションや学術書を読むべきです。

私は図書館に通います。図書館や書店に実際に足を運ぶことは意味があります。思わぬ出会いがあるからです。検索によって得る情報には、自らの検索ワードによってフィルターがかかっています。不意の出会いがあるからこそ、物理的に実際的に本にかこまれることが大切なのです。

そして、今日も出会いました。娯楽小説に。伊坂幸太郎の小説を2冊も借りてしまいました。 「死神の浮力」を借りました。死神の精度は読んでいました。数年前、書店で見かけたんですよね。「死神の浮力」。その時はグッとこらえました。でも、ずっと読みたかったんだよね〜。借りちゃった。へっへっへ。

「火星に住むつもりかい?」も借りちゃいました。好きなんですよねー。ライトなSF小説。いや、まだ読んでないからSF小説かどうか分からないんですけどね。でも、面白いだろうな〜。面白くないことがないもんな〜。

さらにさらに、町田康の小説も2冊借りちゃいました。えへへ。もう幸せすぎて笑みがこぼれれちゃいます。ははは。はははは。ははは、は。

せめて、読んだらレビューしたいな〜。