仕事を作業に落としこむことが大事、作業という言葉をもっと前向きに捉えて良いと思う
あなたがやっていることは仕事になっていない。それでは、単なる作業です。
ビジョンや目的を持って働きましょうってことですね。よく聞きます。
作業が価値を持っていなければ仕事にならない。価値を生み対価を得ることが仕事、あるいはビジネスなのだから。
この認識の仕方、定義はまあ出発点としては有効だとは思う。
ただ、仕事はどんどん作業にしていかなければならない。これも事実。
どんどん仕組み化して、できれば自動化して効率を上げることが重要。仕事の互換性を高めることが重要。仕事は人に属してはならない。その仕事が人々にとって欠かせないものであればあるほど。
自分がしている仕事の価値を下げなければならない、本質的には。
仕事を抱えこんで自分の価値を高めてもそれは、全体にとって不利益なのではないか?という問いをもてなければただの非効率な部分になる。
仕事はどんどん人に任せなければならないし、任せるためのノウハウ・マニュアルを作らなければならない。テンプレートを作るという言い方の方が現代的だろうか。
雛形というのは、生産性を上げるためのツールであり、全体にとっての財産だ。
結局は言葉の定義なのだけれど、作業という言葉を必要以上に忌避することはないと思うのだよ。特に仕事に関しては。
作業化することを、コード化すると表現しても良い。
コード化するというのは、個人でいえば、1つ1つの要素をグループ化して、脳の負担を減らして状態でこなせるということ。そのようなイメージ。
主婦さんの家事なんかは代表的なコード。慣れない人が家事をすると上手くこなせないし、ましてや家事をしながら考え事をするなんてもってのほか。とか、よくある例えだけれどそうゆー感じ。
大きな範囲でいうと、工場のラインみたいな感じ。誰でもできて、仕事の互換性が高い仕組み。
これは本来的には良いことなんですよ。
個人の生存戦略と、仕事の効率性を分けて考えなければいけない。
また、個人が1人で仕事するに際おいても、仕事を作業化する、コード化するというのは重要だよ。
心理的・脳的な負担を下げて作業化すること。ちょっと言い換えてみると習慣化すること。
これが大事なのは、誰も批判しないよね?スポーツなんかは、特に反復練習をすることによって、基礎的な動きを無意識で行えるようにすることを重視する。
脳のリソースを十分に開け、創造性を上げるためには、欠かせない。基本的な動作に一々集中していたら、閃きなんてこないから。
だから、作業という言葉をもっと前向きに捉えても良いと思う。
言葉の定義の問題だから、それぞれ、好きにしたらいいんだけど、、、
ルーティンは良くない、創造性を大切に、みたいな風潮が蔓延していることが気持ち悪いからちょっと書いてみた。
逆だよ。自分の創造性をルーティン化することで、より創造性を発揮する土壌を整えるんだよ。