普通に仕事している人は皆、適度に怪しまれている
私に関していえば、一応文章を生業にしているのだが、それは、正しくは『文筆業』ではなく、『リサーチ業』とでも呼んだ方が正しいだろう(それでさえ、本職のリサーチャーに失礼だが)。
クラウドソーシングを利用して日銭を稼いでいる、いわゆるwebライターというやつである。
私はwebライターという奴である。
webライターという奴は、文筆業というよりは、文筆を含む業といった方が確かだろう。もちろん人によって仕事の質は変わるので、確かに文筆業(webライター)と呼べる人もいる。
ただそのような人は単純に優秀なライターで、執筆の媒体としてwebを選んでいる、とした方がよさそうである。
まあ、このような呼称の定義の話になると煩い輩がわきだすので、あくまで私の実感として、自身のことをwebライターと自称するのは甚だこそばゆい、ということである。(というか、違うんじゃないかな)
底辺に近いwebライターの場合
私のような底辺に近いwebライターという奴は、ほとんど誰かの言いなりである。誰かというのは、もちろん依頼主である。裁量はほとんどなく、曖昧な指示と与えられたキーワードや構成案から、相手型の希望を想像する。そして、それを形にする。
あまり、多く質疑を重ねてもいけない。特に個人の依頼主である場合、なるべくコストを下げたいと思っている。それは時間的なコストも含む。
「いいから、とっととやっつけちゃってよ」ってな感じである。
「あんまり細かい男は好きじゃなくってよ」ってな感じのときもある。
「とにかくサクッといい感じに仕上げちゃってよ。この色きちがい」と依頼主の半分くらいは思っている。
と私は思っている。
仕事の半分くらいは想像力で埋めることが多い
私は昔、髪を切る仕事をしていたのだが、そのときにも「いいから、ちゃちゃっと・・・」な、お客は多かった。もちろん、最低限の勘どころは押さえた上である。逆に、とても細かい注文をする、拘りの強いお客もいた。
どちらのタイプであるかは、注文を告げる口調や態度などから、判断しなければいけない。仮に、細かい注文に応えるからといって料金は変わらない。施術にかける時間も大差はない。いや、あってはならない。
では、何が変わるかというとコミュニケーションである。
意図を的確に把握して、実現すること、また、相手が不安にならないよう、十分に理解を示すこと。
まあ、結局は、お客側にどれだけ明確な意図やイメージがあるかどうかなのだが、それが細部まで具体的に定まっているなら、とことんそれを追求しようというのが、こちらの基本姿勢になる。もちろん、プロならではの提案も求められるが、一度実際に失敗しなければ納得のいかないお客もいる。
逆に、明確なイメージがない場合には、こちらが想像して、最適解であろうところを提案する。(うるさいと思われない程度に)
そうした、コミュニケーションの部分は人によって適宜対応しなければならない。むしろ、そこが仕事の本懐といえるかもしれない。
コスト感と仕上がりのレベルを、どの当たりで妥協するのか。
明確に言葉にしてはいけないから、察しながら仕事が進む。
webライターという奴も、髪切り屋というのも、なんだか、似ているなーと感じている。というか、同じようなレベル感で、別の仕事をしている感じである。
(ブランディングに成功しているような、髪切り屋はそうではない。お客は、プロの感性・判断・技術に身も心も任せる。)
適度に怪しまれている
webライターという奴も、髪切り屋も、他の職業人も、お客に絶対的な信頼を寄せてもらった上で、仕事ができる人ばかりではない。
多くの人は、お客から、適度に怪しまれつつ仕事をしている。そして、それに気づかないフリをして、「いつもありがとうございます」的な顔というか、態度をして、まるで「私とあなたは信頼で強く結ばれていますものね!」ってな雰囲気を醸し出したりする。
そして、お客は若干引く。
だが、ここまでが、おきまりの・・・なのである。お互いが理解した上で演技しているのだ。他にどのような選択肢があるだろう。
例えば
「まあ、あなたが私のことを信頼しきれていないことは理解していますが、とはいえ、そちらの経済状況やこちらの料金設定が合致しているからこそ、我々は関係性を持っているわけで、そこはまあなんというか持ちつ持たれつというか、なんというか、まあわかるでしょう?大人なんだから。とりあえず、お互い高みを目指して頑張りましょうよ」
とは言えないのである。