建築物をストーキングするということ〜それは思い出を弄っているのです
季節の変わり目はいけない。特に冬の入り口にあたる11月はいけない。
なにがいけないかと言うと、悲しくなるからいけない。切なくなるからいけない。
蘇る思い出、楽しかったこと・美しい景色、良いことばかりが頭に浮かぶ。
1年前に会社を辞めた。そして季節が一巡した。
少し、おセンチになって懐かしさを感じている。別に会社が嫌で辞めたわけではないから、なおさらだ。
夜になるともっといけない。切なさがピークを迎える。ついつい車の鍵をつかむ。そして発信。ふらふらとドライブに出かける。
気がつくと、かつての通勤路を走っている。
いかん。
妄想と創造を育む建築物という象徴
かつての職場を通り過ぎるとき、もう頭の中は思い出でいっぱい。なんなら、なかったことまであった風な感じで浮かんでくる。それは妄想である。
ある意味では創造。失われた会話の続きを妄想で創造しているのだ。
いかんです。健全でない。
通勤路(今はただの道路)を走りながら、思い出に浸り、もし今も勤めていたなら、などと興奮しながら、会社の前を通り過ぎる。
これは、特定の個人にやったらアウトです。完全にストーカーです。
しかし、私が夜な夜な目指すのは、会社という建築物。しかも、その周囲。そして目当ては、思い出とそれに付随する切なさ。目に見えないものを求めている。
求めているものが、目に見えず、そして手で触れることのできないものだからこその徘徊、決して誰かに迷惑をかけたり、法に触れたりするわけではない。(多分・・・)
電話したとしてなんと言うのか
世間では、旧態依然とした会社組織や上司のパワハラ・セクハラ、あらゆるモラルハラスメントが問題視され、会社といえば非難の対象・ストレスの元凶とされている。
そんな会社に対して、私のように思いを寄せるのは珍しいことなのかもしれない。かつ、幸せなことなのかもしれない。
だが、私は今ストーカーなのだ。これは幸せではない。
なんとかしなければいけないが、冬の匂いがさ、切なさをさ、連れてくるからさ、いかんです。
これ、もっとひどくなると電話かけたりするかしら。それはいかんよね。本当のいかんやつですよね。
電話かけたとして、なんて言うんでしょ。まさか、無言で切るわけにもいかんから、そしたら、ほんとにいよいよストーカーだし、法にも触れだすよ。
なんて言えばいいかな
「いや、ちょっと懐かしくなって」
いやいや、誰に言うの。
私はあくまで、会社という概念、集合、そこでの思い出たちを愛しているわけで、特定の誰かを愛しているのでないの。
概念が電話に出るわけはないから、会社員がでるよね。全然、思い入れのない人が出るよね。
そうじゃなくて、俺は思い出に触れたいのよ。概念を愛しているのよ。
「また働きたいんですけど・・・」
これかな。多分、いける。でも、働きたいかと言われたら、別に働きたくはないわけで。
こうゆー、はっきりしない野郎が最も嫌われるor困らせる。
まあ、とにかく私は働きたいのではなく、思い出を弄りたい。
だから会社の外の人間であり続けなければいけない。
来年は切なくならないように対策案を
来年も同じような感じになったら嫌だな。それを避けるには新しい対象が必要。
新しい切なさが必要。
それは、今まさにやっていることが切なさの対象になるかもしれない。
なんだ。今やっていること。これか、ブログか。はてなブログか。じゃあ、はてなブログと別れないかんやないですか。別れてこその切なさだから。
じゃあ、WordPressでもインストールしますか。そうしますか。そんで、来年の今頃、はてなブログの周りをウロウロしますか。
でも、はてなブログの周りってどうやってウロウロするの?
結局、自宅で同じキーボード打ってるんじゃないの。キーボード替えればいいの?
そんで、来年の今頃、この今使ってるキーボードを横目でチラチラしながら切なくなるの?
切なくなるかなそれ、ほんと?それで大丈夫?
よく分からなくなったよ。
あれだね、難しいね。感情って難しいね。