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備忘録としてのweblog

せっかく時間があるので小説でも書いてみようか

長い時間を持つと、欲張りになり、あれもこれもと意欲を出しながらも、結局大したことができなかったということがある。あとで、思うのはせっかくあれだけの時間があったのだから、なにか形になることでもしておけばよかったというようなことだ。

例えば、新たな知識を体系的に学んだり、資格の勉強をしたり、はたまた何かしらの作品を作ったりと、出来たはずのことが多く浮かぶ。

実際に、暇の只中にいる時には思いもつかないのだから、悲しいものである。

今、時間があるのなら1日や数時間で片のつくことではなく、3日や1週間、いや1ヶ月や3ヶ月というスパンをかけて取り組むことをしたい。小説を書くことなんかもいいかもしれない。

と思うのである。

1.小説を書くにはどれくらいの時間が必要なのか

少なくない数の小説家がそれぞれの創作環境について語っている。例えば、1日に書く文字数や、書き直しにかける時間などを具体的に語っている。

1-1.村上春樹は1日4000文字

村上春樹は長編の執筆に取り掛かると、日に4000文字を規則的に書き上げていくらしい。原稿用紙10枚分ということだ。これは、多いか少ないか。村上春樹は4時や5時に起床し、それから午前中を執筆にあてるらしい。ということは、1時間に書く文字数は、500文字を超えるか多くても1000文字だと推察できる。もちろん、考える時間や書き直す時間も含まれるから単純計算にはそれほど意味がない。ただ、量的なことだけを考えれば、誰でもが達成可能な文字数だろう。

1-2.タイピングが早い人は10分で1000文字以上打つ

日常的にパソコンを使用する人なら、10分間で1000文字は打つだろう。やはり、量的な問題はほとんどないと言える。1日に仮に4000文字を書き続ければ、1ヶ月で10万文字を超える。10万文字というのは平均的な本の文字数に相当する。200ページほどの本だ。2〜3時間で読めるような本なら毎日書き続ければ、1ヶ月で書くことができるということになる。実際に村上春樹はこのような感じで3ヶ月をかけ、海辺のカフカを書き上げたと言っている。そこから、徹底的な書き直しを行うのが彼の執筆スタイルなので、3ヶ月で書きあがるのはあくまで物語の骨子の部分になる。

1-3.短編小説の文字数は10,000文字

いきなり、長編小説に挑戦するのは無謀だろうから、まずは短編小説から挑戦した方が良さそうだ。短編小説と一口に言っても様々なサイズの作品がある。掌編と呼ばれる2〜3ページで終わる作品もある。とりあえず短編小説とは、20ページくらいの小説だということにしよう。文字数にすると一万文字である。日に4000字書けば2〜3日で初稿が書ける。書き直しに同じ時間をかけたとしても1週間で完成する。最初の挑戦としては、程よいサイズ感と制作時間ではないだろうか。

2.先にフレームを組むことでとりあえず取りかかれる

文字数や制作時間をあらかじめ決めることは、創作においては、あまり本質的なことではないかもしれない。しかし、ある程度フレームを決めてしまうというのは初学者にとっては有効な手法であるとも言えはしないだろうか。 そもそも、最初から完成度の高い作品なんて書けるわけがないのだから、とりあえず始めてみて課題を浮き彫りにするということが大切な気がする。 なにより、実際に取り組む前に、大体のゴールが決まっている方がやりやすい。

2-1.創造的な人ほど規則性を大切にする

創作家の創作スタイルを調べてみると、意外にも規則的な生活や工場生産的なノウハウを採用していることが多い。原初的な取っ掛かりは、偶然的なものであったとしても、ある時期からルーティン化を大切にする人は多い。創作は継続的に取り組んでこそ内容の深化や進化、または、サイズの拡大に繋がるのだから当たり前かもしれない。

2-2.テンプレートの活用を嫌がらない

テンプレートの活用も、創作家はするようだ。独創性や芸術性とは対極にあるような気もするが、やはりどんな分野でも巨人の肩にのるということは大切なのだろう。歴史を知り、体系的な学習をすることで自分が取り掛かるべき領域を発見するのだろう。車輪の再発明をしないことは、独自性と価値を担保する。創造的な仕事をする人ほど、自分以外のことに詳しいものだ。いつも、突拍子もないアイデアを出す人ほど歴史に詳しく、時折彼らが語る姿を見て意外性を見出す人も少なくないのではいだろうか。

2-3.多作であることの重要性

優れた創作家であるほど、多作であることは知られている。未完成の作品を多数持つ人や、小品として実験的な作品を多く持っている人も多い。と、同時に完成まで長い時間温められている作品もあったりする。長大な作品を完成させるために、小刻みな創作を続けることで必要な部品を作っていく感覚だろうか。いずれにせよ、作り続けることで能力を開拓し続けることは大切なのだろう。

2-4.作品群を残すということ

個々の作品が直接繋がりを持っていなくても、作品群として、ある世界観を提示するという現象もある。優れた創作家の作品群は後の研究者や鑑賞者らによって、様々な検証や考察の対象になる。新しい意味を与えられることもあるし、時代の要請によって、再評価されることも珍しくない。ある程度の量が、質に転換するということは実際にあらゆる場面で起きている。 仮に、誰にも目にも触れない作品群だとしても、自分で自分を見つめるには役に立ちそうな気がする。

3.作品を残すことで成長が分かる

趣味のような形で小説などを書いてみて、それが何の役に立たなかったとしても、一応完成させているというのは有意義なことではないだろうか。何によらず、完成させるということは価値がある。そこを起点に次に取り組む課題が見つかることもあるだろうし、同じテーマをより深く掘ることができれば自身の成長を測るための墓標にもなる。

4.書き出しは全体を知ってからしか書けない

せっかく長い時間を持ったのなら、小説でも書いてみた方がよいのではないかということで、いくつかの考察を行ってきた。これらは、ほとんど独り言のようなものであるし、自分にとってのメモ書きのようなものでもある。 では、書き始めようかと思うのだが、もう一つ考えておかなければならないことがある。第1章は全体を知ってからでしか書けないということである。つまり、書き直すことを前提として書き始めなければならない。なにしろ、これから書く物語がどのように終わるのかは未だ分からないのだ。まずすべきことは、終わりを見ることだ。終わりを見るには始めなければならない。それから、正しく的確に書き出さなければならない。少なくとも2回は書き出すことになる。 最初にそれを自覚して、軽やかに書き続けることを忘れないようにしたい。

終わるためには、ある程度、サイズ感や、時間的な制限をあらかじめ設けておくことが有効になる。初学者ならなおさらだろう。長大な物語と、20ページで終わる物語の書き出しが同じであるはずがないのだから。 書き出しの文章には、最も多くの時間や労力が使われると聞いたことがある。ただ、それは最初から悪戯に悶々としているということではないだろう。ある程度の全体性が見えてきてからの悶々だろう。

ともかく、2〜3日で短編小説が書けるというのは、とても素晴らしいことではないだろうか。もちろん、優れた小説になることは約束されていなし、おそらくヒドイ代物が出来上がるだろう。それでも、まず書き出すこと、軽やかに書き続けることを意識したい。 我々は、暇を持て余すと、とかく消費行動に移りがちである。それならば、いっそ生産者になり、金のかからない娯楽を手に入れた方が良いのではないかと感じる。