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備忘録としてのweblog

【労働の尊さと搾取】情報は開かれているので悩む前に知ろう

感情や実感と、収入を分けて考えることが重要だ。もっと言えば、お金がどのように、回り、自分の収入としてされているのかを知らなければならない。

特に、通常の労働者。会社に所属し、月給・日給・時給で給与を受けている場合。

基本的には、労働を資本として、会社に提供しているというのが、最も一般的な働き方ではないだろうか。会社の業績が良くても悪くても、定められた契約に基づいて、給与が支払われる。

支払われた給与によって、労働者は(月給制だとして)来月分の労働を再生産する。これ自体は、悪いことではない。また、職種によって、給与の制度は異なるため、この限りでもない。

要は、こういった根本的な仕組みを知っているかどうか、さらに会社と自身の法的な関係性を認識しているかどうか。自分を守ってくれる法の存在や、逆に自分に課せられた義務・責任を把握できているかどうか。

実際に確認してみると、「思ってたんと違う」ことは、多々あると思う。

労働の尊さと搾取

労働の尊さや、価値は確かにある。少なくとも、私はあると思っている。

だが、それを利用してというか、いかにも道徳的な言い回しで、労働を不正に搾取しようとする輩も存在する。搾取する側が、さらに上層から搾取されている可能性もあるし、搾取側にその自覚がないことも珍しくない。

労働の考え方や仕組みについて、誰も教えてくれないし、自らアクセスしないと触れられない情報だ。

我々が、幼少から繰り返し唱えられるのは「働かざる者食うべからず」といった、精神論でしかない。そして、社長や、〇〇長など、役職にある人をむやみに敬い、株主といった、更に上流の住人については、よくわからないが金持ってる人、みたいなことになる。

なんなら、株は怪しい、詐欺だと思っている人さえいる。そして、身近な〇〇長を敬う。無意味にへつらい、頭を下げる。

これは、おかしい。どう考えてもおかしいのだが、慣習というのは強力であって、そのようなものと一度認識してしまえば、人は生きていけるものであるし、わざわざそんなことを考えなくても暮らしていけるように制度設計されている。

労働に関する情報は開かれている

現実的に実感するのは難しいが、雇用主と労働者は対等である。指示系統があるだけで、立場に弱さはない。命令は受ける。それは職務だから。それだけのことである。拒否権もあるし、その拒否が正当かどうかについては、法に訪ねればいい。

実際的に、明日からの振る舞いを変える必要なないが、気の持ちようを変えること、認識のあり方をかえるだけで、無用なストレスから解放されることも少なくない。

だが、真実を知ることで、今まで当然だったことが異様に見えてきて、怒りを覚えるなどといったこともあるだろう。世の中、正論だけでは、進まないものである。

しかも、敵は、ルールを熟知し、負けない戦い方を知っていたりもする。

もし、なにか行動を起こすときは、早まらずに、適切な準備をしてほしい。

情報自体は、常に開かれている。そこにアクセスすることが推奨されていないだけで。

知って役立つ労働法|厚生労働省

こんなのとか。