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備忘録としてのweblog

無害な男はモテる、見習い、協働すべし

無害な男はモテる。これは真実だ。私は無害な男がモテる現場を多く目撃してきた。実体験からくる確かな情報である。

この情報が保証できないのは、あくまで、私の観測範囲のことなので、統計的な正しさについてである。

しかし、情報の精度を求めるほどに、ちみらには余裕があるのか?

人生はチャレンジである。チャレンジに次ぐチャレンジである。

しかも、この「無害な男はモテる」問題では、いかに「何もしない」ことが有益であるかについて語るのであって、サボテンを枯らすようなズボラなOLでも実施できる、本質的に我慢大会。

我慢に次ぐ我慢。

やるべきことは、自我の喪失。

つまり、情報の精度が低いのだとしても、試す価値のある手法だ。なにせ、するべきことは1つ。

極力黙るということなのだから。

人の評価は減点方式

よく思われたい。優秀さを知らしめたいと躍起にはなってはいないだろうか?

逆効果である。

誠に残念である。

あなたが、あなたの有能さをアピールすればするほど、その対象はお腹いっぱいである。

人が聞きたいのは、あなたに対する客観的評価であって、あなたの自己アピールではない。

だが相槌は要る

無害な男が最も得意とすること。

それは、相槌である。

控えめに、だが、的確に相手を面白く仕上げる。

あなたは、自分が面白くなろうとしていないだろうか。

実際にあなたが、面白いとしてもそれであなたに寄ってくる人はいない。

人は誰しも、自分が面白くありたいのである。そう。あなたと同じように。

「この人と喋っているときの自分好き」

「この人と喋っていると自分が面白くなる」

「楽しい」

「嬉しい」

と思って頂けなかればリピートはない。

相手を立てる、この一点

つまり、自分のポテンシャルを発揮することに躍起になっていては、いけない。

相手をたてなければいけない。目上であろうが、同位であろうが、目下であろうが、関係ない。

とにかく、相手のポテンシャルを引き出すこと。

相手に自身のポテンシャルを認識させること。

なんなら、相手にはひたすら、気持ちよくなってもらい、常連になってもらう。これが大事。肝要。

誰にでもできることではない

当たり前だが、人には傾向というものがあって、誰もが、「無害な男」のように振る舞えるわけではない。

さらに「無害な」当人たちは、自身の資質について不満さえ抱いているかもしれない。

ここは協働して、互いの足りない部分を埋め合うことが賢い。

「無害な男」がモテる理由と、そのポテンシャルを理解することで、「無害でない男」は、得るものが多くなると考えられる。

ライバル調査は大事だよ〜。