椎名林檎と宮本浩次がMステに出演していたことを知らせたグルグルの猛威
やはり、友達というのは、いないといけない。
しかも趣味の会う友達がいないといけない。
常日頃から、私は孤独を決め込んで家にいるから友達がいない。それでいいと思っていた。
だけど、今日は違う。やはり、友達はいないといけないと思っている。
どんな友達が必要かというと、椎名林檎と宮本浩次が、Mステに出ることを教えてくれるような友達。
そうです。私は見逃したのです。
グルグルする宮本浩次
金曜日の8時はMステがある。
私はミュージックステーションのことを「Mステ」というのも、そう呼ぶ人も苦手だったのだが、気にしなくなった。
それは、今の私の生活からはMステが消えていること、ついでに「Mステ」と言う友達も消えていること、ということで、気にするにも気にする対象が消えているから、気にしようにも気にしようがない。
テレビもほとんど見ない。見るときは決め打ちで見る。
あれを見たい、これを見たいの精神である。惰性で見ることはない。
だから、昨日見逃した。誰か教えてくれないといかん。そんな大事なこと。
で、昨日Mステで宮本浩次が椎名林檎の周りをグルグルしている頃、私がなにをしていたかというと、これが奇遇にも、椎名林檎の周りをグルグルしていたのである。
椎名林檎のYouTubeチャンネルに入り浸り、昔のPVやら今のPV、それからライブ映像になんやらかんやら鑑賞して、悦な気分でいた。
それで、ブログまで書いた。
椎名林檎好きが消えて椎名林檎だけが残って・・・、僕はとても心細くなった - ポスト
その前には、「獣ゆく細道」のPVも見ていた。
ニアミスである。
椎名林檎が過去に置いてきたデジタルデータに私が釘付けになり、勢いで文章まで書いていた頃、実際の椎名林檎は宮本浩次をグルグルさせていたのである。
Mステというのは、生放送だから、正にそのとき、現在の椎名林檎は宮本浩次をグルグルさせていたことになる。
そして、その宮本浩次の「グルグル」に衝撃を受けた人々が、私に、昨日のMステのことを知らせてくれた。
RTにRTを重ねて、私のツイッターのタイムラインに流れてくる、数々の宮本浩次。
いずれの宮本浩次も、だいたい、いつかはグルグルしている。
そのグルグルの衝撃によって、そのグルグルは私のところまで、やってきたのである。
新しい『笑っちゃう椎名林檎』
遅すぎた。遅すぎる情報だった。
私がMステを見ることができるタイミングで知りたかった。
教えて欲しかった。
グルグルの後ではなく、前に知りたかった。それで、私も興奮して、リアルタイムで分かち合いたかった。
しかし、あのグルグルの衝撃あってこその拡散であるゆえ、つまり、グルグルの前にグルグルを知ることはできない。
別にグルグルをリアルタイムで見たかったと、プンスカしているわけでない。
別に私としてはグルグルはなくてもいい。
あのグルグルがなければ、グルグルを含んだ椎名林檎と宮本浩次の映像は私のもとへ届かなかった。
これは確か。
だが、結局グルグルによって拡散されたグルグルは、後の祭りであって、やはり、グルグルの事前に知る必要があった。
やるせない。やりきれない。切ない。
ところで、そのグルグルは、まず隣にいる椎名林檎を笑わせた。
曲が終わるまでは、椎名林檎は笑わない。プロフェッショナルだからだ。
曲が終わり、堪えながらも漏れてしまう笑みの可愛さ。
そして、それは、偶然にも、群青日和の最後で笑っちゃう椎名林檎に、私がニンマリしているときだった。
やはり、私が過去を振り返っているとき、現世では、新たなる『笑っちゃう椎名林檎』が誕生していたのだ。
歴史の1ページを目撃するチャンスが与えられていたにも関わらず、私ときたら、過去を振り返り、笑っちゃう椎名林檎を見て、気色の悪いニンマリをしていたのである。
悔やんでも悔やみきれない。
そして、こうして、悔やんでいるうちにも世界は前に進んでいる。
だから、私は悔やむことを今すぐやめて、前を見なければいけない。そして、次の歴史を目撃しなければならない。
今回は宮本浩次のグルグルが、その衝撃が、私のもとへ半日遅れで届いた。
届かないよりはいい。
だが、遅すぎた。
今度は、グルグルする前にどうにかして、グルグル感をもっと出して、友達のいない私にも、そのグルグル感が、グルグルする前に届くよう、さらにグルグルして欲しい。
よく分からない、破綻した願いを、厚着してもうた。