目標設定に潜む罠|分かりやすい努力は買い物に近い
数字の目標は分かりやすい。ついつい頼ってしまう。時間とか。冊数とか。時間とか。回数とか。時間とか。時間とか。
時間の目標設定を楽しむ人は多いのではないか。時間はバリエーションも豊富だから、色々楽しめる。
秒。(秒はないか)
分。
時間。
日数。
各々が好みの単位を選んで楽しめる。まるで遊園地。しかも入園料は無料です。こぞってお越しください。
1万時間の法則なんてものも、流行ってるから、時間で努力を測るのはスタンダードになりつつある。
しかし、1万時間の法則は意外と時間以外の要素も重要で、本をちゃんと読めば、それはわかるのだけど、そのタイトルのキャッチーさと分かりやすさが、相まって、本の中身・詳細について論じられることは少ない。
キャッチーさが凄い
やはり、我々は分かりやすいものが好きなのであって、それゆえに1万時間の法則に関しても食いついてしまう。なにより、夢がある。時間さえこなせば、凡人でも夢を叶えられる、スターになれる、と思えば、そりゃ誰だって食いつく。
これに関しては、否定のしようもなくて、むしろ、そのタイトルのキャッチーさから、学ぶべきことが多いはずだ。他人の(およそ)1万時間分の希望を、一手に集めるそのコピーライティングを参考にしたい。(原題は1万時間の法則ではないのです)
努力は買い物
努力というのは、努力そのものの辛さもさることながら、その結果が可視化されるまでに長い時間がかかることが辛い。だからこそ、1万時間でも、1000時間でも、100時間でも科学的根拠とともに、目安が提示されれば有難い。
時間は累積して計測可能だから、進捗確認すること自体が、モチベーションを維持してくれる。
しかし、というか、やはりというか、努力は単純には測れないのである。思考停止してしまってはいけない。試行錯誤や一見非効率に見える、実験・思案を重ねてこそ、である。
与えられた課題をこなすのは、精神的には容易い。
特に、日々の生活を維持しながら学ぶような社会人、貧乏学生からすれば、努力は買い物である。
努力が買い物というのは、そこに消費者志向が潜んでいることを指す。
『コスパ』である。
ただ、これでは、ゼロサムゲームには強くなっても、真の才能を発揮することには繋がらないだろう。
しかし、ほとんどの人は、真の才能など本当は求めていないと思う。ルールをチェンジするような大がかりなことをあなたはしたいのだろうか?
ゼロサムゲームを制するには意外と1000時間の努力がちょうど良い。
『コスパ』を意識して、目的意識を持って、適切な努力の時間を買うというのは、割に賢い買い物である。
そう、努力は買い物である。
筋トレも分かりやすい
筋トレが流行っているのも、この辺りの感じ方に基づくのではないかと感じる。
もちろん、正しい方法や、食事内容、適切な休養を意識しないといけないが、わりかし、目に見えて効果が出やすいのが筋トレだ。
やはり、努力が目に見える形で、現れるというのは気持ちが良い。
例えば、音楽をたくさん聴いて、理論を学び、耳が良くなっても、耳は大きくなったりしない。
それでも、確かに、そこに価値はある。
自身のモチベーションを維持すること、活動的であること、本質的に必要な努力を選ぶことは、それぞれに関与しながら、作用している。
分かりやすい目標設定に溺れることなく、だけど、自分のイヤらしさを上手く活かして、最適な環境を用意したいものだ。