ポスト

備忘録としてのweblog

土曜日の朝に何をするべきか|未来を左右するのは休みの過ごし方

土曜日の朝に何をするかで、結構な違いが出てくる。なにせ、前日は金曜日なのだから。

金曜日といえば、酒池肉林である。

世は不景気といえども、それは、酒池肉林を開催するにしては、心もとないということであって、やはり、どこかで誰かは酒池肉林たるのだ。

安い酒でも構わない。テーブルに料理が並び、人が集えば楽しい、楽しい、気持ちいいです。

それから、土曜日の朝を迎えるわけである。ちゃんと起きれましたか?頭痛くない?大丈夫?ってな感じで、優しく声をかけてくれる恋人でもいればいいが、独り住まいの小部屋で目を覚まし、限られた自由を与えられた若人が適当に振る舞える可能性は低い。

休みの過ごし方が未来を左右する

きちんと土曜日を過ごさなければ立派な大人にはなれない。同期は出世し、旧友も家族を持ち、恋人には愛想を尽かされ、30前後で一人ぼっちになってしまう。

よいよい。それでもよい。一人で飲む酒も悪くはない。おつまみは、淋しさ、侘しさ、心もとなさ。そう思える人であればいいが、そのような境地に至るには、結構な数の壁を越えなければならない。

(実際には、急流に流されるように到着してしまうので、覚悟など必要ない。)

気づけば一人ぼっちで、ハメを外そうにも手段がない。欲を満たしたければ、民間のサービスを受けるほかない。

だから、金がいるし、金が足りなくなれば、便利なサービスを使って金を調達し、民間サービスを利用するほかない。

しかし、金などそんなには、調達できないから、出来ることも限られてくる。安い料金で提供されるサービスに心がすさみ、ここで引き返すことになり、家でサラダなんか作るようになる。

結局散歩するしかない

一番欲しいのは、包丁とまな板。さらに、金属製のザルやボウルを集め、レタスやキュウリの水気を切る。ようになる。ハンバーグなんかこね出すかもしれない。

「金をかけなくても、こんなに裕福に暮らせるのか」と、気づいても、その時には、もう一人だから、分かち合えない。

せっかく、料理の腕を上げ、無垢な心でもてなしができる心構えになっても、呼ぶ人がいない。

つまり、若いうちから土曜日の朝をちゃんと過ごさなければ、パーティーさえ出来ないのである。

あれほど、ないと思っていた時間がその辺に転がり転がり、ちょっと見飽きてしまうくらいに転がりまくりで、朝は早起き、昼は長い。夕方も長い。絶望感を3回くらい通り越してから、やっと眠れるとベッドに入る。

散歩だって、朝と夕方の2回することになる。

人は孤独になると、散歩に精をだすのだ。しかも、一人で。

近所の老夫婦なんかとすれ違い、挨拶を交わしたりなんかして、しかし、相手はつがい、こちらは一人。いつまでたっても、どこまでいっても一人。

淋しさから、それほど愛せない人を愛そうとして、やはりそれはできないから、なおさら孤独感をこじらせる。そして、また一人。

こんなことならと、一人の時間を楽しもうと方向転換を試みて、じゃあなにをするかと言えば歩く。ひたすら歩く。

つまり、散歩する。

結局、散歩する。

実は、私も今、散歩から帰ってきたところでして、身体を動かして気分がよくなりまして、ブログでも書こうかなーなんて。

で、「散歩はいいね〜」とか、「身体は動かすと気持ちいね〜」的なことを書こうとしたんですが、こんなことになってしまいました。

上にあげた事例は、ほとんど私自身のことでして、なんの根拠もない戯言ですので、皆さまは素敵な土曜日をお過ごしください。

私は、お昼ご飯を作り、食し、お昼寝をかましてから、夕方の散歩にでかけようと思います。

1日って長いですね。