同調圧力に負けずに自分を守る方法|出汁を取る
どうせなにが正しいかなんてすぐに変わるし、例え不変の真理があるにしても、それに納得できるかどうかは別である。
人は納得できなければ、しない。
納得するためにはそれぞれ遠回りする必要がある。
それはそうとして、あなたにも経験はないだろうか。「それ、俺が前に言ったじゃん」てなこと。
あると思う。誰でも1回はあるんじゃないかと思う。そしてさらにこう思ったことはないだろうか。「あのとき、俺を否定した奴らは謝れよ」と。
ここまで、思うかどうかは人によるかもしれないが、少なくとも私は思ったことがある。
会社で、家庭で、あるいは友人同士の集まりで、小学校、中学校、部活動。
場面は色々と有りえるが、実は自分が最も正解に近い場所にいたのに同調圧力に負けてしまったこと。
自分のやり方を、周りに合わせてしまって、後々、かつての自分のやり方がもてはやされること。
そんなときに思いはしないだろうか。「ああ、あのまま突き進んでいたら俺は今頃・・・」
よくあることである。
よくあることではあるが、悲しい。やりきれない。やはり、自分を貫き通すこと自体が才能なのか。泣けてくる。やりきれない。涙で前が見えないよ。
みんな違って、みんないいのかな
なぜ、揺れてしまうのだろうか。なぜ、自分のあるがままで生くことができないのか。自信がないからである。指摘されて、「そうなのかな」と思ってしまうからである。はたまた、「えらい損、損ならまだしも恥でっせ」となるのである。
人と違うことは、恥ずかしい。気にならない人もいるだろうが、大体の人が恥ずかしいと思う。
“みんな違って、みんないい”とは思えないのである。青春のきらめきが一瞬間、そのような心境にさせてくれたとしても、それは仲間内でのことである。
基本的なドレスコードは統一されている。そのグループの外側から観測すれば、大体、全員同じに見えるのである。細部にある微差を個性として、“みんな違って、みんないい”と言っているのだ。
「いやいや、おじさん。それ、個性だし。分からないのおじさんだからだし」
だしだしで、出汁。が来た。来たけど、おじさんはめげないよ。だっておじさんは分かってるよ。その細部、君たちの個性。だけど、通奏低音がなっているじゃない。あなた達特有の。
ベースが固定してるからこそ、君たちの些細な違いが、きらめくんだ。それが、ハーモニーなんだ。ときにメロディなんだ。それが、モードだ。
とか言っても、出汁の子は納得してくれないだろう。
まあ、それはいい。悔しいけどいい。不当におじさん扱いされたけど、いい。絶対許さないけどいい。
まあ、つまり、見識を広く持たなければいけない。カテゴライズやフレームの設定を的確にしなければならない。それには、勉強が必要。
「ここから、あそこまでが〇〇で、あそこから先は、〇〇です」と分かってないといけない。
「でも、全部ひっくるめたら宇宙です」これも分かってないといけない。
視点をコントロールしなければいけない。
いけないが続きすぎて、いけないおじさんになってきました。
こんなことでは、いけないので出汁を取ってきます。