aikoが「ただそれだけ」を連呼(2回)するお薬という曲を探すも上田啓太に追いかけられる
数日前のことだ。
私はブログを書いていた。そして、「ふいに」というか「ついに」、aikoを召喚せざるをえない状況になった。正しく言い換えるとaikoの歌詞を引用せざるをえない状況だった。
ただそれだけ ただそれだけ
※aikoのある曲の歌詞より
わざわざ引用することもない他愛のないフレーズ。普通に言ってしまってかまわない。ありふれた日常に溶け込むだろう。
しかし、私がそのとき書いていたブログが「ただそれだけ」のこと過ぎて、これはaikoに頼るしかないと思った。
fakasugi.hatenablog.com (そのとき書いていたブログ)
aikoという権威にすがることによって、自身の不甲斐なさをごまかそうとしたのだ。
畜生である。
だが、背に腹はかえられぬから、検索した。aikoのオフィシャルのYouTubeチャンネルを訪ねた。
そして「ただそれだけ」がリフレインされるあの曲を探した。が、見つからなかった。
いや探すことさえできなかった。曲名が分からなかった。
曲名も分からないのに、なぜ私が「ただそれだけ」がリフレインされる、その曲の存在を知っていたのか。
それは、昔カラオケで聞いたことがあったからだ。
しかも一度ではない。何度も聞いた。複数の女がその歌を歌った。
そして私の頭には「ただそれだけ」という、ただそれだけなリフレインが刻み込まれた。
ことあるごとに私は歌った。ただそれだけなことがあるたびに「ただそれだけ」がリフレインした。
かれこれ10年くらいの付き合いになる。「ただそれだけ」は私の人生の至るところでリフレインした。(多分、ビートルズのリフよりリフってる)
それなのに私は「ただそれだけ」が含まれる曲の名を思い出すことができなかった。ずっと一緒にいたのにも関わらず。
脱線
数人の女が私の人生に関わり、そして去っていった。「ただそれだけ」の響きだけを残して。
ちなみに私の家には猫がいる。その猫は7年ほど前から我が家の一員になった。
その猫はもともと捨て猫であった。それを拾った心優しい女の人から譲り受けた。その心優しい女の人は、当時付き合っていた女の知り合いだった。
つまり、我が家の猫ちゃんは昔付き合っていた女と共同で飼いはじめた猫ちゃんなのだ。
しかし、その女は私の元を去った。もちろん猫ちゃんを残して。
多くの女が私を訪れ、そして去っていく。ひとしきり私というあばら家を探検したあと、ここには何もないということを確認して去っていく。
そして私のもとに残るのは彼女たちの残像。加えて「ただそれだけ」と「猫ちゃん」。
猫ちゃんに関しては、残像ではなく実態であるからして、食費もかかるしウンチもする。この猫ちゃんがいる限り私はあの女のことを忘れることができないだろう。
ヒットしまくる上田啓太先生
まあ、それはいいとして見つからないのである。「ただそれだけ」が。
色々な検索キーワードを試した。
最初は「ただそれだけ aiko」とか、「ただそれだけ aiko 曲」とかでやった。
でもダメ。
「それだけ」というaikoの有名曲がヒットするばかりで、正解にたどり着けない。
「ただそれだけ aiko 歌詞」と、やってみたりもした。
この辺で私にはある予感があった。そろそろ「上田啓太先生がヒットするだろうな〜」と。
・ ・ ・
した。
そりゃするよね。
「aiko 歌詞」で検索したりすると先生の登場率ハンパない。来るとは思っていた。当たり前だ。いまや先生はaikoを評する権威の中ではトップなのだ。
むしろ先生自身が、自分のことをaikoだと思っているフシもあるので、aikoを検索することは先生を検索することに等しいのだ。
aikoと先生が等しい存在だとして、aikoの作品と先生はどちらが上だろうか。
上というのは概念としてどちらが上かということである。
aikoと先生が等しいなら、aikoの作品を検索してもその上位に先生が来る。
それはそうだ。
aikoの下にaikoの作品があるのであって、aikoに等しい先生がaikoの作品の下にくることはありえない。
実際にグーグルという神もそのように判断しているようで、aikoの作品を調べようとしても常に上位に先生が現れる。
先生はaikoの作品なのかな?と一瞬訝りもしたが、いやいや先生はaikoと同位である。
神々の共演と苦痛と至福の体験
結局、曲名は分かった。
「お薬」という曲である。
聞けば、ああそうだったなという感じ。
どのようにたどり着いたのかも分からぬほど、webの深部まで行った気がする。私の調べ方が悪かったのかもしれない。
だが、私としても「ただそれだけ」について調べることは初めてだったのだから仕方がない。
「お薬」に辿りつくまでの間、常に上田啓太という神が私の後をついてきた。いや、それは実際の上田啓太ではなく、上田啓太という神の影である。
グーグルという鏡に写し出された神の姿。数々の偉業(aikoに関する文筆)が私の前に立ちはだかり、そして追いかけてきた。
もしくは、aikoが間接的に生んだ創造物。神々の共演に私は弄ばれながら、私は苦痛と至福を同時に感じていた。
なんなら上田啓太という神が答えを教えてくれるかもしれないと思い、神のブログにも侵入した。しかし、神がそんな分かりやすい回答を与えてくれるはずもなく、そこには高度に抽象化されたaikoしかいない。
それでこそ、神である。
ところで、わざわざ私が宣伝することもないほどに上田啓太さんはご活躍中である。
もし、上田啓太という鬼才をご存知ない人がおられましたら、ググってください。
「aiko」で出てきます。
もちろん「上田啓太」でも出てきます。