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備忘録としてのweblog

【継続が大事】楽にブログを書くための考え方|犬になれ

ブログに限らず、自主的に文章を書くからには、動機があるはずだ。しかし、動機のみで書き続けることは容易くない。

初期衝動は、勢いを失くし、最初にあった何かは、風化していく。純粋な欲動によって始まったものほど、目的はボンヤリとしやすい。

それは終わりのない旅のようである。旅の中途で、人は途方にくれる。多くのものは脱落し、残った少数だけが前に進み、何らかの成果を上げていく。

他人に見える『結果』は、道中で出会う試金石に過ぎない。本人からすれば、ただ継続しているだけだ。

彼らは、継続を重んじ、また推奨する。

今では、継続のためのノウハウは至る所に溢れている。

しかし、具体的なノウハウを知るだけでは継続はできない。重要なのは、どのような考え方で取り組むかだ。

継続にとって最大の難所は初期にある。

ブログは特にそうだ。

ノウハウよりも先に知っておかねばならないことがある。

以下、ブログ初期において、なぜ継続が困難であるかを示し、また、その困難を乗り越えていくための、考え方・心構えを提示する。

もし、なにかヒントになるような箇所があれば幸いである。

ブログに反応がない

自分が行ったことに対して反応があるというのは、物事を継続していく上で、強い味方になる。褒められたり、時には批判されたりすることで、次のモチベーションが生まれる。このような良い循環に上手く入り込めた人は、楽しくブログを続けていくことができる。

ブログは、特に初期において、反応というものがない。これが、虚しさを生み、継続の敵になる。せめて、人からの反応があるまで続けられればいいのだが、脱落者は多いらしい。

反応がなくても継続できるか

そもそも、人の反応を糧にするタイプの人は、継続に向いていないかもしれない。何事によらず、初期の熱中というものがあってこそ、上達があり、人にとって価値あるものが産まれる。

その上で、人の反応という加速器が加われば、大きな躍進に繋がる。最初から反応を求めていては、その表現は、ありきたりで面白みのないものになってしまう。

なにより、最初から人の反応を糧にしているようでは、初期の段階を乗り越えることが出来ないし、そもそも、それは、その人がやるべきことではないかもしれない。

反応を求めるのは悪い癖

大人になるほど、すぐに成果を求めがちだ。効率や意味を重視して、本来の好奇心や熱量が隠れてしまう。

だから、もしかすると、熱中できない状態は、本来のあなたではないかもしれない。人の反応という結果に拘るのが、悪い癖になっているだけかもしれない。

だが、悪い癖というのは中々、治らないものでもある。癖というのは繰り返され心身に沁みいったものである。ある意味で継続の産物だ。

癖を治すには、意識することが必要だ。繰り返し意識することで、少しずつ癖を取っていかなければならない。では、何を意識すればいいのか。

ヒントは、やはり、癖がつく前の状態にある。つまり、子供である。

子供に学ぶことは、多くあるが、一例を示したいと思う。

子供の壁打ちに学ぶ

例えば、サッカーや野球の練習を一人でするとき、「壁打ち」というものがある。壁に向かってボールを蹴り(あるいは投げ)、返ってきたボールを受けるというものである。

これを、延々とやれる子供は熱中していると言えるだろう。

外から見て、分かりやすい熱さはないが、彼(彼女)の頭の中は忙しい。さまざまな、角度・速さ・タイミングを試し、仮説を立て、結果を確認し、イメージと体感を一致させていく。

ここに人の反応はない。あるのは、彼の研究心と上達への意欲、そして今までの経験からくる自信である。その自信は、これかも自分は向上し続けるだろうという確信に依る。

彼は知っているのである。ここまで、来るために自分がした努力とその結果を。

その記憶が彼を次のステージに引き上げる。

ブロガーにとっての壁とは

壁打ち少年のように、自分の内面で完結する情熱があれば、ブログを書くことも容易いだろう。

人の反応ではなく、自身の内なる変化に意識を持っていくことだ。人の評価ではなく、自分の変化を楽しもう。

壁さえあれば、情熱が絶えることはない。

壁打ち少年には壁がある。

はて、ブログを書く人に壁はあるだろうか。

さて、ブログを書く人にとっての壁とはなんであろうか。

本来なら、ブログを書く人にとっての壁は読者になる。何をどのように書けば、どのような反応をするか。

これが、ブロガー(ブロガーという表記は好ましくないが、便宜的に使わせていただきます)にとっての壁打ちになる。

あら。初期(読者のいない)のブロガーには、壁がない。壁打ちをしようにも壁がない。これでは、インターネットにアップロードされたブログおよび文章は、電子の海にのみ込まれ、返ってくるものがない。

壁のない壁打ちである。これでは、壁打ち少年でさえ、頑張れないだろう。

蹴ったボールを、自分で拾いに行かなければいけない。

そして、拾ったボールをまた蹴る。

そして、走る。

また拾う。蹴る。走る。

これの繰り返しである。

犬である。

犬でさえ、飼い主と遊んでいるわけだから、犬以下である。

犬になる

つまり、ブログを書き続けることは、とても難しいということです。

だけど、それが、なんで難しいかが、分かっているのといないのでは大違い。

自分のしていることが、犬以下だと思えば気が楽になりませんか?

とりあえず、続けることが大事なんだということだけ、覚えておいて、犬になればいいのです。

飼い主のいない犬だから、野良犬です。

自分のブログは野良犬のお遊びなんだと割り切れば、軽い気持ちで書けませんかね?

(長いこと引っ張ってすいませんでした。最後の、壁打ち〜犬のくだりをやりたかっただけです。前振りが思わず長引いてしまいました。今回の反省点として、心に刻み、改善を試み、今後も精進していきます。※犬以下というのは犬のことを生物的に見下しているということではなく、犬のお遊びより、私のブログは非道いということです。あしからず)